人にお金を貸した事はありますか?
または「貸してくれ」と
お願いされたことはありませんか?
人にお金を貸す行為は
その瞬間は、相手に感謝されて
気持ち良く感じるかもしれません。
「自分は良いことをした」
と思うと思います。
しかし、その行為は
相手の器と成長を妨げてしまう
大悪になっている可能性もあります。
お金を貸す行為は悪いことなのか?
本当の愛情とは何なのか?
今回ご紹介する成功者のお話は、
そんな経験から得た体験談になります。
目次
1:「お金を貸してくれ」
2:小善は大悪に似たり、大善は非道に似たり
3:本物の大善とは?
4:まとめ
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1:「お金を貸してくれ」
「お金を貸してくれ」
と言われた事がありますか?
私は何度もあります。
大きな声で言える事ではありませんが
過去に数千万円を数人に貸して
まだ返って来ていません。
恐らく永遠に返って来ないと思います。
音信不通になった人が殆どです。
お金を貸した人たちの中には
凄く仲の良かった友人もいます。
最初の頃は凄くショックでした。
「相手のためを想ってやったのに…」
そして段々と怒りに変わり
「どんな手段を使っても回収してやる!」
と思い始めました。
しかし今では回収する気も、
私から連絡する気もありません。
すべて「自分が悪い」と考えられるように
なりました。
私は借金まみれから今の小さな成功を
手に入れました。
コネも人脈もスキルも無くすべて
マイナスからのスタートでした。
だからお金に困っている人の気持ちが
良く解りますし「お金を貸して」と
言われるとどうしても渡したくなります。
しかし、
人にお金を貸すのはもう辞めました。
2:小善は大悪に似たり、大善は非道に似たり
私がお金を貸した人で幸せになった人を
1人も見た事がないからです。
仏教にこんな言葉があります。
『小善』は『大悪』に似たり
『大善』は『非道』に似たり
要は
小さな良い事は、大きな悪に似ていて
大きな良い事は、酷い仕打ちに見える
という意味です。
例えば、お金を貸すという行為は
本当に相手のためになるでしょうか?
資産はその人の過去を表す1つの数値であり
その人物の器でもあります。
借金とは器よりも大きいのものを
中に無理矢理いれるようなものです。
器よりも大きいものを無理矢理
入れると器が壊れます。
借金をするという事は、理由は何であれ
己の器以上の事をしているという事です。
だから私は家であっても車であっても
必ず現金で買います。
クレジットカードはよく使いますが
それはあくまでも銀行にすぐに支払える
残高があるからです。
他人にお金を貸す、という行為は
『小善』だと思います。
結局、相手を駄目にしているのです。
3:本物の大善とは?
本当に心から相手の事を考えているなら
ビジネスのアイデアを一緒に考えるとか
相手の器を大きくする手伝いをしたりとか。
これこそが本物の『大善』だと思います。
小さな善は、大きな悪と似ているのです。
しかし「お金を貸して」と友人に言われて
「NO」というのは苦しいですし難しいです。
相手から「鬼、悪魔、非道」と言われるかも
しれません。
しかし、長期的に相手の事を考えたら
お金は貸すべきではないと思っています。
大善は非道に似ています。
瞬間的には相手から嫌われる
可能性もあります。
しかし本当に相手の事を考えるなら
例えその瞬間は「非道」と呼ばれても
大善を貫くべきだと思います。
今回はお金を例に挙げましたが
小善は大悪に似たり
大善は非道に似たり
誰かに何かをお願いされた時、
ぜひこの言葉を思い出してみて下さい。
4:まとめ
今日のお話は
いかがでしたでしょうか?
人間関係の話なので、
難しい部分もあるとは思いますが
お金を貸すという行為だけでなく
何かをお願いされた時に
相手にとって何が大善なのか?
本当に大切な人でしたら
何でもお願いを聞くことだけが
良いことではない。
という事だけを頭にいれておき
自分自身が後悔しない選択を
選ぶことが大切だと思います。
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